御案内
HOME 山の世界 歌の世界 旅の世界

  

 2020年10月20日、「楽宴会」投稿文
  私が昭和37年(1962年)に卒業した一橋大学は、一学年が400名と纏まりやすい人数のせいか、卒業後もいろいろ名目を付けて集まっている。集まるだけでなく、メイルのネットワークも整っていて、時々テーマを決めて投稿をしている。
 今回のテーマが「私が心のふるさと小平キャンパス」なので、下記の文を投稿した。
「小平キャンパス」とは我々が入学してから、国立にある本校で学ぶ前の二年間(教養課程)を過ごす分校の事である。今は閉鎖され、「一橋小平国際キャンパス」となっている。

 「わが心のふるさと小平キャンパス」
  遠藤 晶土(Tクラス 高橋泰蔵先生ゼミ)

 私の敬愛する歌手森進一氏は今年で歌手生活55周年を迎える。それを記念して、最近、新曲「昭和・平成・令和を生きる」を発表した。少々前までは「三代を生きる」と云えば「明治・大正・昭和」の事であった。私の父は明治43年生まれで平成5年に没しているから、三代どころか四代を生きた人であった。
 私の父は幼くして両親を亡くし、その後、ミナシゴとして、親戚の人たちの間を転々として幼・少年時代を送った。当然、学校は小学校卒で学歴はそこで終わっている。あの時代は別に珍しいことでもないが、父は、読書が大好きでその後一生かけて本を買い込み、自分の回りに積み重ねていた。 

 私が一橋に入学した時、小平の校舎で、新入生とその保護者に対して「大学案内」の機会が設けられた。国立の本校舎は「合否発表」の時、私に付き添って見ているが、小平校は初めてであり、父は喜んで出席した。
 今まで、縁遠い存在の「大学」に初めて接する父は、「期待」と「気おくれ」で相当緊張していたようだ。
 だから、一通りの説明が終わった後、保護者からの質問の第一号が「通学の定期券の買い方だった。学歴のないオレにも解る質問だった」と、父はいかにもホッとした声で語っていたことを覚えている。

 父は亡くなるまでほぼ健康で、息を引き取ったのも自宅であった。朝、隣に寝ている母が、寝苦しそうにしている父に「苦しいの?」と聞き、父が「ああ」と答えて父はそのまま息が絶えたという。何ともうらやましい最期ではないか。

 父の享年83歳。来年、私はその齢を迎える。           以上


 2017年5月、「如水会会報」No.1034に掲載されました

 2017年、私の年賀状 
        使用箔・使用紙、後述


 この賀状は文面がオカシイ。
 私はこの前年の2015年9月に右足を骨折し、続いてその年の11月に左腕を骨折した。
 1年間、リハビリに励んで、「サー、快気祝」と日取りまで決め、賀状の文面まで決め、印刷に回そうとしたこの年2016年の11月末に、三度、転倒し今度は左足を骨折した。
 賀状が皆様に届く頃、自分の状態が不明なのでこのような文章となった。その後、手術を終え、年末年始はその年リハビリに専念した施設で送ることになった。

 2016年、私の暑中見舞い

 このハガキから文章を外した。
ヒマワリのみの「絵葉書」ではない、「箔葉書」は若い女性たちに人気があった。


  画像をクリックするとそれぞれ大きく表示されます。
   
 2016、年私の寒中見舞い
 このハガキも文面が主役だ。年賀に間に合わず「寒中見舞い」となった。

  城巡りにかける想い
   
如水会会報(一橋大学卒業生会報)
      2012年12月号掲載記事から
   
   「箔と百名城」をごらんください。
    →右の如水会会報表紙をクリックしてください。

  リンク
 山ちゃんの一隅を照らす旅  →こちら
   私のホームページを制作していただいている山崎さんの旅のホームページです。



























Copyright (c)2012 遠藤晶土 All Rights Reserved.